私があまり商品を紹介しない理由
私はあまり商品を
数多くは紹介してはいなんですね。
っていうか正直
少なすぎるくらいだと思います。
ではなぜ紹介する商品の数が
そんなに少ないのかということですが・・・
家電量販店などにいくと
溢れるほどの商品が陳列されていますよね。
これでもか、これでもかっていうくらい。
そんなときにお客さんの動きを見ていると
こんな声を聞いたりします。
「ありすぎて何が良いかわからへん~」
どれも良さそうなのはわかっているけど
自分にとって何が最適なのか判断がつかない
と言っている訳です。
そりゃそうだ、いっぱいあるもん。
買う気は満々なのに
何がいいかわからずに途方に暮れている。
こんなケースもあるわけです。
もったいないですよね。
こんな時に、販売員さんが
お客さんの要望を的確にキャッチしていけば
サクッと売れてしまうのだと思います。
情報ビジネスでも同じことで
たくさんの情報が溢れかえっていますよね。
数え切れないくらいに。
だからこそ情報を発信する側は
なんでもかんでも情報を発信したり商品を紹介するのではなく
厳選して発信する必要があると思うのです。
そこそこ良い商品はいっぱいあるわけです。
でもそれを全部紹介していたら
情報を受け取る側は
結局何が良いのかわからなくなってしまいます。
なので私はこれまであんまり
商品を紹介していなかったのです。
そして紹介する商品を選ぶ時の基準は
できるだけ時代に左右されないものであるかです。
特にネット業界のスピードは速いので
流行りや廃れも起ってきます。
いつのまにか通用しない内容になっているとか
もうそれ時代遅れジャンとか
そうなってしまっては紹介もできませんし、
使い捨てみたいになってしまうので
できるだけ息長く、使用できるものであるのが
私が商品を選ぶ基準のひとつであります。
もちろん流行に乗っかるということも
大事な要素なので
それを完全に無視するわけではないのですが、
時代が少し変わっても変わらないもの。
ここへの注目は外せませんね。
できるだけ厳選して、
どうしても外せない商品を紹介するように
考えていますので、ご参考になさってください。
本日も読んでいただき、ありがとうございました~。
俺の文章がこんなに面白いわけがない
な~んじゃろうか?
自分の心の中で思っていることを
いざ文章にしようと思ったとき
急にヨソイキの文章に変わる。
いったいこれは何やろうね。
もちろんそれなりに
丁寧な言葉遣いは大事だろうけど
それをしていると、どうも勢いがなくなってくるんやわ。
懇切丁寧もいいけど、
それだけじゃ、伝えられんぜよ。
当たり障りのない
ほどほどの言い回し。
こればっかやってちゃいけんな~と思うね。
そんなヨソイキの言葉や言い回しばっかじゃ
ん~なもん思っていることが伝わるかいな!
記事になると文章が
大人しく縮こまってしまう。
そんな経験があったりしませんかと。
大声を張り上げて叫ぶってことは
普段はそんなにしませんよね。
額の横に血管が浮き出るくらい
興奮してしゃべることなんて、そうそうないです。
でも時には
思いの丈をブチかますぐらいの
勢いがあってもいいんではないでしょうか。
ここ最近そう思います。
普通に書いていてもいいんですが、
どうも文章に熱がこもらないなとか感じる場合には、
オラオラオラオラーーーー!!
ぐらいの時々耳にするオラオラ系で
ガンガンいっちゃってもいんじゃないでしょうか。
自分の書いた文章がつまらないほど
やりきれない時はないです。
わちゃ~、俺マズイなこれは。
ありきたりのしょーもね~記事ばかり書いている。
こんなん読んで誰が喜ぶの?
と思ってしまうような記事を
書いてしまう場合には、
好き放題書きなぐってやるぐらいの気持ちで
書いちゃってはどうでござんす?
やさしい文章、丁寧な文章、穏やかな文章
これはこれでいんだけど
やっぱそれだけじゃどうもね。
彼奴は一体何を言い出すんだと?
俺の血みどろの魂は
地獄へと向かっているって言ってんだ。(toバトラー室長)
ぐらいの熱情を
注ぎ込んでもいいんじゃないでしょうか。
俺の文章がこんなに面白いはずがない。
いやっ違う(汗)
俺の文章がこんなにつまらないはずがない。
そうなんです。
あなたの存在は、この世で唯一無二のもの。
だからこそ、その文章が
決して、つまらなくなるはずなんてないのです。
その自信をまず持ちましょう。
思いきって書くことは
時には勇気がいることかもしれない。
でも書かないことには
何もはじまりはしないぜ ベェイベー。
後ろの壁に後頭部ぶつけるぐらいの
「あの人何やってんの?」
ぐらいの不思議さというか
突拍子もないくらいが面白かったりします。
ブログとかメルマガとか
文章を人目にさらすことを意識しすぎると
黒のスーツ着たようなヨソイキになってしまう。
でも金ピカ衣装を着ていれば
それだけで目立ちますし、印象に残りますよね。
実際いたんですよ、
このおじさんはバッタか?と思えるほど
全身みどり色のおじさんが!
上着もシャツも、靴も靴下までも全部緑色。
このおじさん絶対バッタを
リスペクトしてるんだろうな~と思えるくらいに。(僕と一緒じゃん!)
1回見ただけですが忘れませんね。
といった感じで
自分の文章がつまらく、
思っているように書けないという場合は、
型や形式にとらわれずに、
ガシガシ書いてみてはどうでしょうか?
僕のこの文章もわけわからんでしょ。笑
まず自分を楽しませるように書いてみることで
俺の文章がこんなに面白いわけがない。
って思えるかもしれませんよ~。
本日も読んでいただき、
ありがとうございました~。
自分のことを深く知るために
自分の能力を最大限に出すためにも
自分のことをもっと良く知りたい。
とはいっても自分って何なんだ?
わかっているようでわからないのが自分。
そんな自分を深く知るにはどうしたらいいのか。
ここからいろんなヒントが出てくることもあります。
まずは自分の記憶を遡れるだけ遡ってみる。
ひとつの経験や記憶が、他のものとつながったり、
思いもよらないものが出てくるかもしれません。
私は幼稚園児の時に
竹馬でコンクリートのことろを
歩き回ったのを覚えていますね。
みんなは他のところに集合しているというのに。^^;
乗れたいう喜び。できる面白さ。
なんかを感じていたんだと思います。
その経験が
自分にとって大切なことだから
覚えているんだと思いますね。
嫌なことや忘れたいこともありますが
面白かったこと、楽しかったことを振り返れば
自分がどういうことに興味があり
どんな人間なのかがわかってきますね。
こうやって自分の歴史をひもといてみると
意外な一面が現れたりします。
これば自分が考える自分なんですが、
他の人から見た自分というのもあります。
自分が自分のことを思うのと
他の人から見た自分は違う。
自分のことは自分では見れない。
見られた自分というのを知ることが
また新たな自分像を知ることになります。
自分が考える自分と
他の人から見た自分。
この2つを総合して
自分というのを考えてみてはどうでしょうか?
これを知るには他の人協力がいるので
簡単にわかるというものではないのですが、
自然にふれ合っていく中で、わかってきたりします。
コミュだとかSNSなどで交流すると
他の人が自分をどんなイメージで見てるかが
だんだんわかってきます。
そこを意識して媒体を構築していくと良いでしょう。
自分だけでは決してわからない、
それが自分なのだ。
あなたの中の秘密のあなた
あなたはだれ?
哲学の歴史をたどっていく書籍
『ソフィーの世界』ではこんな問いかけがあります。
それに対して
どのように答えたら良いでしょうか。
わたしはわたし。って答えても
わたしってなんなのでしょう?
わたしの一番近くにいて
ずっと一緒にいるのは自分。
だとしても自分のすべてを説明できるでしょうか?
3歳の時、どこで誰と何をして遊んだ?
はじめて口にしたものは?
幼稚園に初めて行った日のこと。
昔の記憶に関するものなら
ほとんどの場合忘れていますよね。
また
自分の好きなもの、嫌いなもの
得意なもの、苦手なもの
自分の性格の特徴、行動パターン、変な癖
などをすべて語り尽くせるかと言えば
なかなか大変ですよね。
といった具合で
自分のことはわかっているようで
あまりわかっていなかったりするんです。
自分では意識していないけれど
他の人から見れば
すごく面白い部分だったり
すごく優れている部分があったりするんです。
日常生活をする上で
自分のすべてに注目することはできないので、
自分の特徴などに気がつかないですよね。
「自分には特に際立ったところなんてないな~。」
なんて考えてしまったならば
今一度、自分のことを振り返ってみてはどうでしょうか?
あなたの中に潜んでいる
別のあなたが見えてくるかもしれませんよ。
自分を掘り出し方については
また後日お伝えします。
本日も読んでいただき、ありがとうございました!
ちなみに
3歳の時の記憶は残っています。
それ以前の記憶もありますが、何歳かはわからないですね。
初めて幼稚園に行った日は
母親と離れるのが嫌で幼稚園の入り口で大泣きしました^^;