自分のことを深く知るために
自分の能力を最大限に出すためにも
自分のことをもっと良く知りたい。
とはいっても自分って何なんだ?
わかっているようでわからないのが自分。
そんな自分を深く知るにはどうしたらいいのか。
ここからいろんなヒントが出てくることもあります。
まずは自分の記憶を遡れるだけ遡ってみる。
ひとつの経験や記憶が、他のものとつながったり、
思いもよらないものが出てくるかもしれません。
私は幼稚園児の時に
竹馬でコンクリートのことろを
歩き回ったのを覚えていますね。
みんなは他のところに集合しているというのに。^^;
乗れたいう喜び。できる面白さ。
なんかを感じていたんだと思います。
その経験が
自分にとって大切なことだから
覚えているんだと思いますね。
嫌なことや忘れたいこともありますが
面白かったこと、楽しかったことを振り返れば
自分がどういうことに興味があり
どんな人間なのかがわかってきますね。
こうやって自分の歴史をひもといてみると
意外な一面が現れたりします。
これば自分が考える自分なんですが、
他の人から見た自分というのもあります。
自分が自分のことを思うのと
他の人から見た自分は違う。
自分のことは自分では見れない。
見られた自分というのを知ることが
また新たな自分像を知ることになります。
自分が考える自分と
他の人から見た自分。
この2つを総合して
自分というのを考えてみてはどうでしょうか?
これを知るには他の人協力がいるので
簡単にわかるというものではないのですが、
自然にふれ合っていく中で、わかってきたりします。
コミュだとかSNSなどで交流すると
他の人が自分をどんなイメージで見てるかが
だんだんわかってきます。
そこを意識して媒体を構築していくと良いでしょう。
自分だけでは決してわからない、
それが自分なのだ。
あなたの中の秘密のあなた
あなたはだれ?
哲学の歴史をたどっていく書籍
『ソフィーの世界』ではこんな問いかけがあります。
それに対して
どのように答えたら良いでしょうか。
わたしはわたし。って答えても
わたしってなんなのでしょう?
わたしの一番近くにいて
ずっと一緒にいるのは自分。
だとしても自分のすべてを説明できるでしょうか?
3歳の時、どこで誰と何をして遊んだ?
はじめて口にしたものは?
幼稚園に初めて行った日のこと。
昔の記憶に関するものなら
ほとんどの場合忘れていますよね。
また
自分の好きなもの、嫌いなもの
得意なもの、苦手なもの
自分の性格の特徴、行動パターン、変な癖
などをすべて語り尽くせるかと言えば
なかなか大変ですよね。
といった具合で
自分のことはわかっているようで
あまりわかっていなかったりするんです。
自分では意識していないけれど
他の人から見れば
すごく面白い部分だったり
すごく優れている部分があったりするんです。
日常生活をする上で
自分のすべてに注目することはできないので、
自分の特徴などに気がつかないですよね。
「自分には特に際立ったところなんてないな~。」
なんて考えてしまったならば
今一度、自分のことを振り返ってみてはどうでしょうか?
あなたの中に潜んでいる
別のあなたが見えてくるかもしれませんよ。
自分を掘り出し方については
また後日お伝えします。
本日も読んでいただき、ありがとうございました!
ちなみに
3歳の時の記憶は残っています。
それ以前の記憶もありますが、何歳かはわからないですね。
初めて幼稚園に行った日は
母親と離れるのが嫌で幼稚園の入り口で大泣きしました^^;
共感される記事を書くための第一歩
こんにちは、ぜんです。
前回までは
「今でしょ!」を語るということで
私なりに語ってきました。
今日はそのまとめになります。
共感される記事は書きたいですよね。
誰一人からも共感されない記事を
書いてもしかたがないわけで。
自分なりに渾身の力を込めて
書いた記事がまったく読まれないのだとしたら
悲しいとしか言いようがありません。
自分が思っていることを書きたいが、
それが受け入れられるかどうかは、また別の話になります。
そこを考える上で大切なのは
情報発信者と受け取り手の
間にあるものなのです。
情報発信者と受け取り手の間には
川が流れていると考えてみてください。
情報を発信する人と
それを受け取る人は
年齢も違えば、趣味も性格も違います。
これまでの経験、見ているテレビ、性別だって半分違いますよね。
そもそも違う人間なのですから、
すべて同じように受け取られるとはならないわけです。
発信者と受け取り手には
こういった断絶ともいうべき川が
少なからず流れているということ。
川の向こう側には情報発信者、
川の手前側には受け取り手、つまり読者さんがいるんです。
川の向こうで、話していても、
果たして読者さんに聞こえるでしょうか?
熱烈なファンの方であれば
小さな川なら渡ったしまうでしょう。
川の向こうに、仮に嵐のメンバーがいたら、
女子中学生の多くは少々濡れてでも会いにいくでしょう。
でも、
それほど有名でもない
普通の人が川の向こう岸で何かを叫んでいたって
会いに行こうとは思いませんよね。
無理矢理、大声を出そうものなら
ヤバイ奴が叫んでるぜ
と危険を感じて避けてしまうかもしれません。
そうです。間を妨げる川が流れている以上、
そのままでは決してあなたの話に耳を傾けてはくれないのです。
では、どうするのかというと、
渡れるような橋や道を作っておくということです。
向こうの川岸は何か楽しそうだぞと思い、
そこに渡る道や橋があれば、読者さんは前に進めます。
そうして情報発信者とその受け取り手の
距離が近くなり、一緒に会話できるような状態が
「共感する」
ということなのだと私は思います。
だからこそ伝えたいのであれば、
相手が近寄ってこれる、道をちゃんと作っておく必要があるのです。
その道は多くの人が渡れる広い道でも良いですし、
マ二アックな話題で限られた人だけが、通れる細い道でもいいわけです。
何かしらの近づいて来れる道をあらかじめ作っておく。
こうしたひと工夫をすることから
共感される記事が書けるようになってくるのだと思います。
まずは発信者側と受け取り手側には
少なからず溝があると考える。
そしてその溝を渡るための
道や橋を作っておくことを意識してみる。
これが共感される記事を書く
第一歩だと思うのです。
今更ながら「今でしょ!」を語るその2
では、今更ながら「今でしょ!」を語る、その2です。
前回の話をもう一度見たいならばこちらから。
ホントにね~、
今更って気もしないでもないですが、^^;
今、語らずしていつ語るの?
って話ってことでもう少しお付き合いください。
では、いきます。
「今でしょ!」
「今でしょ!」
「今でしょ!」
闇雲に3連発してみましたが
これ読んでどう思うでしょうか?
「・・・だから何なのさ?」って思いません?
肯定的に受け取ってくださったとしても
「う~ん、そうだね。」くらいにしか思わないハズなのです。
「あっ、今でしょ!出たか」みたいな程度ですよね。
むしろ
「いつ買うの?今でしょ!」
って暑苦しく言われれば言われるほど、
やめとうこうかなってなりますね。
「今でしょ!」って何が面白いのでしょうか?
ここをもう少し考えてみたいと思います。
朝の情報番組で「スッキリ」という番組があります。
杉野アナとドンウォーリー?・ド~ン小西さんが
好きなので時々私は見ているのですが、そこで
司会の加藤浩次さんが
的確な指摘をしておられました。
「やっぱ〇〇だよね~」と。
この〇〇とは、
これです。
林先生の顔!
この少し,おちょくってそうな顔を
トヨタのCMで連発するもんだから
視聴者の印象に強く残った。
逆に言うと
「今でしょ!」というセリフそのものは大して面白くない。
林先生のあの顔と合わせることで
面白みが出ているんだと考えますね。
現にバラエティー番組で
林先生が「今でしょ!」をやったところで
たいして盛り上がっていませんよね。
「おお~出た」ってぐらいで。
共演者みんな言わせようとしてるし^^
「今でしょ!」は使いやすいのだけれど、
林先生のキャラクターやその雰囲気という
他の要素があるから面白いのであって、
別の人が、ただ文字だけで使っても
たいして面白くなかったりします。
私もリアルの仕事でたまに使いますが、
あんな顔してやっています。(爆)
情報発信者は自分の中に
伝えたいすべての情報が入っているので、
あたかも受け取り手が
それをわかってくれるかのような錯覚があります。
ですが受け取り手、つまり読者さんが
自分(情報発信者)と同じように感じてくれるとは限りません。
「今でしょ!」しにても知らない人もいるわけです。
文字で書いたらそんなに面白くないことや
これで果たして読者さんが楽しんでくれるか考えて発信しないと、
自分では良いものを書いたつもりでも
まったく伝わらなかったりします。
情報発信者と読者さんとの
「感覚の違い」に敏感になることが、
伝わる文章を書く秘訣の一つです。
違いのわかる男、違いのわかるレディになることが
より多くを伝えられる情報発信者となれるわけです。
ただ流行っているから使ってみよう。
な~んてチン〇な発想ばかりしていては
いつまで経っても反応のある記事は書けません。
もう一段レベルを深めて考える必要があります。
「今でしょ!」は文字だけではあまり面白くない。
本当に小さなことですが
こんな小さなことに気づくか気づかないかが、
文章を書く上での生命線なのです。
そこに
いつ気づくの?
いつ気づくの?
いつ気づくの?(←しつこ~い)
結局使っているという(笑)
つづく。
ぜん、今更ながら、「今でしょ!」を語る
「今でしょ!」がつまらない理由
「いつやるの?今でしょ!」
昨年の流行語大賞になったこの言葉。
今でも、至るところで使われていますよね。
家電製品の店に行っても
「いつ買うの?今でしょ!」
本屋さんに行っても
「いつ読むの?今でしょ!」
どこでも、何にでも使われています。
きっとあなたのメールボックスにもこの
「今でしょっ」のフレーズを書いた
メルマガ記事が届いていることと思います。
私のもとにも
相当な数、「今でしょっ!」記事が届いてます。
で、ですが、
その記事を読んで何か印象に残ったでしょうか?
大抵、あんまり印象に残らない
使い方をされているように思いますね。
もちろん、
ちゃんとわかって使ってらっしゃる方もいれば、
ただ流行っているから使ってみただけ~な
使い方をしてる方も、ちらほら見受けられますね。
せっかく使うのでしたら
何かしらの効果をもたらさないと
もったいないように思います。
笑えるとか、購買にすぐつながるとか、
何でもいいのですが、、。
この「今でしょ!」のフレーズの良いところは
極めて使いやすいというとことですね。
だって現実には今しかなんですから。
過去や未来なんて
想定してるだけで、過ごしているのは「今のみ」
今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、
今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、
今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、
今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、今、
現実世界は常に「今」の連続。
だからこそ、ほぼいつでも使えるフレーズなのです。
ですが、記事で読んだ場合、
果たして面白いのかどうか、意味をなすのかどうか。
ここを考えて欲しいと思います。
これは情報発信者と
受け取り方の違いという視点から見る上で
大切な要素でもあるので、少し考えてみてくださいね。
つづく、たぶん(笑)